またやってしまった
ものすごく学習しないぷりがばれてしまいました。
でも来月も書きます。
ちょっとだけ書くってこと思い出しました。
2009年8月31日
ものすごく学習しないぷりがばれてしまいました。
でも来月も書きます。
ちょっとだけ書くってこと思い出しました。
ラブリーポップウェブマガジンで、膣トレ&フェミニンエクササイザーの体験コラム連載中です。めちゃがんばったわけでもないのに、ここ半年であきらかに鍛えられてるわー。カラダは素直やのう。
最近、柄にもなく仕事ネタは自重しているのですが、少しだけ。
お客さんが、自分の一物に「フィリップス」という名前をつけてました。世の男性は他にどんな名前をつけているか気になりました。私もつけようかなあ、自分の一物に。
インターナショナルワークショップフェスティバルで、自力整体の指導で参加させていただきましたよ。
今まで、自分と同じくらいの年代か、下の世代の女性にしか指導したことがなかったのですが、この時は、幅広い年齢層、そして男性の方も何人かいらっしゃっていて、ものすごく新鮮に思いました。指導の新米野郎にとって、こういった現場は、めっちゃ貴重な経験です。来ていただいた方には本当に感謝です。
ほんとにちゃんと現場を持って、経験値つんでいきたいなーと改めて思いました。こういう風に自分の指導変えていきたい、というヒントもあり。来年以降はなんとかしたいなー。
やー今年の12月で風俗求人フリーペーパーモモコで連載していた「フーゾク虎の穴」が終わります。まるまる4年。よくSTDネタだけでひっぱたものよ、と我ながら感心しますわ。
せっかく4年もやっているんだから、何か評判はないの?と思って検索してみましたが、ない。巷の人気風俗嬢さんは、あれやこれやと上へ下への大騒ぎなのに、田中課長の田の字もないの?もうさらにしつこく検索してみたところ。
あったー!

見つかったのは、この一件だけですが、これを胸に強く刻み、生きていこうと思います。ありがとう、fyWuKEtZOさん!
連載終了後の企画は、まだちゃんとモモコさんに通しておらず。
連載続けたいですが、これ大丈夫か、という企画内容。でもそれしか思いつかないので、とりあえず出してみようかと思います。
顔出ししない方針の課長ですが、本人と非常によく似た他人発見、と208の岩渕さんに教えて貰ったので、ここに載せておきます。

うーん、似てる。いつかこの人と記念写真などとりたいものです。
これで食べていきたい、という具体性はないのです。残念なことかもしれない。もうこれで食っていくのだ、という経験による裏づけもない。
が、今までの行動や、ときたまおとずれる衝動で、これが一番自分にとって大事なんだろう、ということはある。
自分の心の中に、どうしたらいいのかわからない領域、というのがあった。その辺りの記憶を思い出すと、とにかく感情が動かされて、泣いたり、怒り狂ったり、と、現実に起こっていることをすっとばして、過去に引き戻されてしまう領域だ。だいぶん振り回されていた。どうやってあつかっていいのかわからない。触れると大変になるので、触れないでいようとするけど、やたらと存在を主張するし、なんとかしようとすると、大変すぎて手に負えないのだった。
幸い、歳をとり、いろんな経過をへて、その領域、というのが変質して、それほど自分を振り回さなくなった。が、そんな風に長年生活して、私には、その領域、というのが、自分の心の中以外に、たくさんある、という妄想に近いイメージがある。
どんなものか、特徴を箇条書きにすると、
・肉体的か、精神的に痛い思いをしたり、怖い思いをしている
・たいてい子供で、逃げることができない
・孤立している
・助けを求めたりもできない
・本人も、まわりも、おこっていることに無自覚である
・が、大変なことがおこっている
・それらは、たいてい見たくないものであるので見たくないものとして扱われている
過去になっていることは、過去だからもういい、と思える。が、今もそういうことが起こっていて、これからも起こる、それも、特別な場所じゃなくて、ごく普通だと皆が思っている場所に、その暗い領域がどんどん再生産されていく、というイメージだ。たまに、その妄想がぐわっと心を覆って、何がなんだかわからなくなることがある。とてもあせる。
一見関係なさそうだけれど、私がセックスワークの予防云々にかかわるとき、自然に、その辺りを解消したい、というのが入ってきている。予防云々、を何とかしたい、というよりは、人と人の間に起こってくる、不均等な力関係の上に起こる何か恐ろしいものに対して、何かしようとしてしまう。いや、何かできる、というより、自分もいまや、手を下す側にまわってしまって、日々関与しているんだろう、その放置の有様に対して、なんらかの罪滅ぼしをしたい、というのに近い。あるいは、それをしなために、逆の動作をし続ける、ということか。仕事か仕事じゃないかにかかわらず、自分が書いたり作ったりするその理由の根っこには、全部そのその暗い領域が意識されていると思う。そのほかに、自分が積極的になれることというのは、あまり思い当たらない。
ずっとそういうのが当たり前で、あまりそれを変えようと考え付きもしなかったけれど、自分の方向性を決めているこの暗い領域をめぐる私そのものを、このままでいいんだろうか、と少し迷うようになって来た。
こういう自分でいることは、ほんとうに私、というものを窮屈な感じで決定つけている。
一見、私がポジティブに動いていることも、この理由で動いている限り、私が、というか、大変だった私を、ずっと記憶し続けていることにならないだろうか、というか、それを忘れないためにやっていることなんだろうか?とちょっと感じるから。
こういことは、がっちがちにコントロールして何とかできるものでもないのは、今までの経験でもそう。が、こうやって書くことで、次の一手がおのずとおこってくることもある、というのもそう。
一番何がやりたいか、と問われたら、その無数に点在するブラックボックスのようなものを開くこと、あるいは、その動作によく似たこと、といえる。本当に、もっと現実的で、具体的に人に役にたつことだったり、仕事になることだったらよかった。細々とでも、その欲望に忠実な仕事をやれたらなあ、と思います。ていうことは、もっと若いうちに考えておきたかったな、とも思います。
今年のはじめ、漫画家SABEが亡くなった。
彼の代表作のひとつに「地獄組の女」という作品がある。私はこの漫画が大好きだった。
好きな漫画は、と問われたら、「岩明均の全作品と、地獄組の女です。」とずっと答えていた。岩明均の作品は、毎回深いテーマを掘り下げるわ、年々技量はあがっていくわで、そう違和感ないと思うけど、「地獄組の女」は「なんでこの漫画をそこまで?」と首を傾げられることも多い。そりゃあそうだろう、とも思う。私にとっては、両者は、めちゃ共通するものがあるのだけれど。
「地獄組の女」の主人公は、まよみ、という成長とは無縁の、駄目な人間である。そして、彼女をとりまく世界も、本当にどうしようもない、尊さのかけらもない、不条理な理屈や、権力者によって成立していて、それに対して、数人の良心ある準主役、脇役によって、かろうじて話が成立する。ひとつひとつのエピソードはまったく救いがないけれど、ポップな絵柄で、悲惨な話がほぼギャクとして描かれるので、重たさは少しもない。その結果、世界の崩壊がものすごくくだらないものとして描かれている。
そこがすごく好き。
重たいものをそのまま重たく描くものは、何か変えよう、このままではいけない、という方向性を自ずと志向することがある。それがその作品の力となったりする。
が、地獄組の女にはそれはない。ただただ、その現実に振り回され、自滅したり、死んだり、結局はより強大な力をもった者や、法則が、ただその通りある、という見も蓋もない世界観が展開される。
これは、相当突き放した、もう何もかもをあきらめきったものの視点だと思う。もしくは、人間の醜い心や、争い、生き死にに、なんの優劣をつけることない、神的な視線か。
そんな投げた視点で実際に人生を生きていったら、本当に自滅する。そりゃあすぐどうにかなる。
ほとんどの人は、今ある、自分がなんとか生きている現実が、いつひっくりかえるかわからないのをどこかでうすうす知っているから、そうはならないよう維持する努力をするし、ひっくり返らないよう、常に気を配り、社会的なもの、文化的なものを強固に積み上げている。
が、たまに、そのくだらなくてどうしようもない世界が今自分が生きている世界なんだと思い続けないと、心のバランスがとれないってことが起こる。それは、一度世界がひっくりかえってしまったり、何も信じられなくなってしまった人で、それも自己防衛のひとつなんだと思う。
「地獄組の女」的な世界観のままではやっぱり生きられない。が、一方で、あの無常の世界観に、ものすごく安堵する。あと、駄目人間の典型像、まよみに、つい共感してしまう。私がかなりがんばって、彼女を反面教師的に扱ってみても、自分は、どうしようもなくまよみの側だ。
あの物語は、どうしようもない現実の、映し鏡のようなもんなんだと思う。そんな世界をちゃんと見つめられるのは、すごく心の強い人か、なんとかしようとしている人で、ほとんどの人は見るとつらくなるので見てない世界を、そこから遠い人も、渦中にいる人も、全然見ようとしてない世界を、ちゃんと写しているところがあるのだ、というので、とてもほっとする。
あんなぐっだぐだな展開の中で、ずばっと心を射抜く名セリフを満載し、決して善人ではない魅力的なキャラクターが登場する物語を描いたSABE先生は、本当にすごい。あんな風に闇を覗いていたのは、その作品の力量は置いといて、「残酷な神が支配する」の萩尾望都に匹敵すると思う。もっと漫画を描いてほしかった。ご冥福をお祈りします。
2009年8月29日
国際エイズ会議でバリにいってきました。その詳しい様子は、こちらでみてもらうとして、私の雑感を。
んもー正直リゾートホテルになじめなかったんです。豪華すぎて。ああ、江ノ島いきたいって思ってました。私レベルの小物は何も海を越えずとも国内で。それで十分です。うん。
でも、これが同じくらいの値段出して、よい老舗旅館やったら、楽しめたんじゃないかと。あの西洋チックな楽しみが、全然なじめなかった。なぜあいつらはプールサイドで本を読むのか。プールきとんやろと。
目覚めてバルコニーにでれば、鮮やかなみどりと気持ちのよいプールですよ。もうね、リスとか小鳥がね、ちょろちょろちょろちょろするんです。ここは天国かと。
いや、本当にホスピタリティーあふれる、めちゃいいホテルやんたんです。でもなあ。アレを心から享受するのは、なんだか無理。
こんな人きちゃってごめんなさいって感じでした。豚に真珠、馬の耳に念仏、田中にリゾートホテル。
そんな風に思いながら、ああ、老後はインドネシアでリタイアっていいよなあ、とまったく矛盾することも考えてました。
インドネシアは、今度はリゾート地区じゃなくて、もっとゆっくり来たい土地だなあと思いました。あたりまえだけど、海外って、本当に、何もかもがぜんぜんぜんぜん違うのですね。そんな今更なことが印象に残りました。その違った場所にいくっていうのは、とってもよかったです。
と、まあ、ちょっと検索にひっかかるような、ひっかかりすぎて、かえって埋もれてしまうようなタイトルをつけてしまいましたが、たくさんひっかかってほしい。
友人のこゆりさんが書く小説が、求人フリーペーパー「モモコ」で連載されております。
モモコでは、私も連載しておるので、掲載誌がおくられてくるのですが、すごい楽しみになりました。連載ものって続きがどうなるか追う楽しみがあるのねー。
モモコさんが小説書ける人を探していて、私は彼女を紹介したのでした。こゆりさんのブログ読んでて、この人絶対小説書けるわ、とお話をもっていったんやけど、いや、それは、彼女のブログを読んでもらったらわかるけど、現実におこった出来事を、もう、完全に彼女が持つ雰囲気に包んで、変換して書いてるから、創作も全然できそう、と思ったのです。
ウェブ版もいいですが、今ブログテキストの大勢を占めている、あの大幅改行、アレに変換されてしまっているのが残念です。ああじゃないと、もう読まれないんやろかー。
今、彼女のブログの最新エントリーもすごくいいです。これは、風俗嬢ならつい共感してしまうであろう仕事中のエピソードなんやけど、それをこんな風に書けるっていうのがなあ。共感できてしまうようにかけてるし。
今号のモモコから、恋するメス豚の紫藤ももえさんの連載も始まり、コレを定期購読できるなんて!とうれしい限りです。連載続けられるようにがんばりたいものです。
先日とったMRIをとったものを某病院に持っていって、子宮内膜症だ、ということがわかりました。
子宮内膜症がなんなのか、というのに興味のある方々は、各自でググってもらうとして、今回、なんで病院にいくきっかけになったかっていうと、もともとは、んんー、下腹いたい、クラミジアかな?というのからはじまったのです。
それで、行きつけの婦人科でクラミジアの検査を受けにいったんですが、その時の触診で、「子宮が大きくなってる」との診断。標準は、卵くらいの大きさらしいですが、この時は、大人の男性のこぶしくらい、といわれました。後日、MRIでみたら、子宮がヘソ下の大部分をしめていて、めちゃビビりました。こんなに大きくなってたのに気が付かないってすごい。
下腹が痛い以外には、生理痛が重いということがあったけど、それは徐々に変化していったので、そんなもんなんだろう、と別に気にとめてなかったよ。
そんなわけで、妙齢のご婦人には婦人科に年に一度くらいは足を運ばれることをおススメしたいすわ。
今まで、STDのことに関していろいろ書いてきたけれど、女性の性の健康ということを考えたら、もっと広い範囲で考えたいと思いました。STD検査と同じくらいやったほうがいいことある。今までも、そういう知識は少しはあったけど、自分がなってみて、その気が付かなさも経験してみないと、本腰いれて考えることにはならへんなあ、としみじみ。
子宮内膜症、子宮筋腫は、どういったカラダの使い方や、生活の仕方でなるんかは、よくわからないですが、そこが一番知りたい。冷え?かなあ。基本的には、出産経験のない20~40代でよくあるらしい。
といいつつ、今回は、完全に西洋医学的な治療、ホルモン調整系の薬でなんとかする予定すわ。自ら不謹慎ですが、それもちょっとだけ楽しみです。しばらくの間、血を見なくてもいいってことがうれしくてうれしくて。ビバ、ノーブラッドライフ。
2009年8月26日
いやあ。思わずキーボードがすべったね、ていう結果の今です。書きます、とあんなに宣言していたのに。どうよ。今あけて26よ。あと13エンチョリーです。15に減らしてもらいました、賭けのノルマは。減らしてもらったとき、ありがたかったけど、目が見られませんでした。
いやいや、いろいろあったなあ。いろいろあった、ていうのは、書かないいいわけにするより、ネタがたくさんあるよ、という報告に使いたいものですけれど。
その中で、一番心がぐわんぐわんになった出来事といえば、あれです、カラダがどうにかなってるかもしれないていう疑惑が。うわーて動揺したり、泣いたりするぐらいの出来事ではありました。どうにかっていうのは、ちょっとわかってきて、まだはっきりはわからないていう状態です。
あと一週間後ぐらいにはっきりするかも。そのころ、私が涙目であまり多くを語らなくなっていたら、察してください。
それでですね、人生初のMRIを撮ってきました。MRIて、あの、人体が輪切りになって写るやつです。そのMRI、私が人生の中でも特に深刻な面持ちでいる中で、まったく不似合いにおもしろ機械でした。
検査服に着替えて、おびえた目でMRIルームに入室したわけですけど、そこで鳴っている音が私の深刻さをあざ笑うようにポップ。これは皆が想像する悪の要塞内の正義の味方がサイボーグに改造されるの部屋のBGM。「シュピーン、シュピーン」のをベースに、「ポンチャカポンチャカポンチャカ」っていうのが軽快に乗っている。むしろ悪の要塞のBGMにしては、間が抜けすぎ、そしてトンガリキッズが好みそうな現代音楽によりすぎ。
あらかじめ、「動作するときには大きな音がする」と注意を受けていましたが、ついに本性をあらわした。その音も、なんで映像を撮るのにこんな風なんかちっともわからない、というぐらいテクノ。それも、めっちゃ多岐に渡ってます。「ウデューン、ギギー」「ドンドン、ドドン、ドンドン、ドドン」、いや、ここまではまだわかる。でも、「ニャーニャーニャーニャーニャーニャーニャーニャー」ていう猫の鳴き声をいれてくるのはわからない。いや、ホントですって。
そんなリズムマシーンが、私の体の恥ずかしいところを隅々と映像に収めたらしいです。今度、結果を見立ててくれる病院にいくまで、手元に写真はあるんですけれど、なんだか怖くて見てません。
これで、重篤な結果がわかっても、あの機械のおかげでちょっとは笑えるかも、と思いました。
2009年8月 9日
ういーっす。ういーっす。という挨拶もうやばいんじゃね?ていうほど、歳をとってしまった、それくらい、書いていなかった当ブログですが、懲りずに、また再開します。今度は本当です。また賭けを再開したから、絶対です。以前私が犯した愚をくりかえし、逃亡のように消えてしまわぬよう、いさぎよく書いていきたいです。
今月は、困らないネタがあるぞう。明日、ていうか、今日、あと5時間後、私はバリに旅立つのです。バカンス目的だったらあと数割り増しうれしかったのですが、あれです、バリのエイズ会議にいくのです。会議目的でも相当楽しみなのですけれど。はじめての海外旅行で、何を用意していいのやら、しなくていいのやら、まだスーツケースのまわりをぐるぐるまわっています。
浮かれて買ってしまったサングラスとルミックス。
