2008年10月31日

暮らしと手帳

私は数年前までは、どちらかというと、知り合いの中でいっちばん暇で、寝る、食べる、仕事、という自分のごく身近なテリトリーを出ることはない生活をしていたのです。それを端的に示すのに、私は手帳とか必要なかった。あんまり決まった予定もなかったし、覚えていられる範囲のことしかやってなかったのです。たまに、小さなメモ帳にメモをとったりしてたけれど、二度と見返さなかったりしていた。

ところが、様々な良縁が重なり、今は月に一度はどっか遠くへ行ったり、〆切が毎月やってくる、ということになっていて、それは本当にありがたいんだけれど、数年前までほぼ引きこもりの生活だった人にとっては、キャパオーバーぎみなのでした。今自分の予定表を見ると、毎日予定が入っていて、たぶん、これが普通の人が大半なんだろうけど、いつのまにこんなことに・・・・と、唖然とする。

いや、キャパはまだありそうなんだけど、常に「なんだか用事がおっかけてくるー!なんか忘れている気がするー!」というような気持ちが抜けきれず、あせらなくてもいいのにあせってる状態がずっと続いているような、そんな。

博多に行ったときに、ホテルに一泊したのだけれど、その夜に、今の自分がやっていること、やりたいこと、というのをノートに書き出したのでした。「壁を塗るためにペンキを買う」というような、いつなんだ、それできんの、という、全然早急じゃない用事まで全部書いた。

状況はぜんぜんかわってないけど、少し落ち着いたのでした。

あの見返さない手帳時代は、今とは違った苦しさがいろいろあった。まず、自分の人生が、あまり連続性のある地に足着いた感じに思えなかった。ぶつぶつに途切れていた。ぶつぶつに途切れていたのをかろうじて繋げていてくれたのが、人とのかかわり、というような。それを思うと、今の生活がどうとかはわからないけれど、もうちっとしっかりした連続性は感じるようにはなっている。歳はとるもんだなあ、と少しは思います。

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