2008年9月30日

見ればわかる人は頼もしい

私は、とっても中途半端な立ち位置で、野口整体系の整体の見習いぽい位置にいるのですけれど、というのも、整体するってことが、どうしようもなく私のコアな問題をつきつけてきて、非常に苦しいのです。なので、「整体師にはなりません~」といいつつ、整体を習わせてもらっているという。

そのこと自体、私のずっとあるあり方をあらわしていて。なんだか、心を開きたい、というのと、開きたくない、という両方を同じ動作の中で、いっぺんにやっている感じで、とてもぎこちなく、うわついた感じになってしまうのです。

そっち側にいきたい、でもやっぱり絶対いや!と、裏腹で、自分でもとても混乱してしまう。そんなこころもちで、人の体の前にたつのが、どうしても恐ろしく。

そんなことも、ついおとといぐらいに、言葉になった。きっかけは、整体の師匠が、質問があったらどんどんいってねーという気さくな人なので、その師匠と他の人のやりとりで、気がついたことがあり。今までもやもやと感じていたことが、ひとつの形になった感じで、それは、自分は、整体されると本当に体がほぐれる実感があるのだけれど、そうするとものすごく不安になり、腹さえ立つ、ということ。そういった質問を思い切ってしたのでした。頑なに緊張していたい人を、ゆるめてしまっていいのか、と。だって、そこには、頑なになっている理由があるのだから。

それに対して、師匠は、ものすごい納得できる答えをされて、それは、今までも、何度も何度もきいていたことだったのだけれど、なんか、ようやく、そういうことか、と感じたのでした。それは、師匠自体が、本当に、整体という仕事を通じて、本当にずーっとやってきてることを言葉にしていることと、また、師匠の、私や、いや、私だけじゃなくて、どんな人に対しても、まさに、「無理にゆるめず、受け止める」という態度で接しているってことが、本当に感じられて、私は、「つまり、今、あなたが私にしていることが答えなのですね」と思わずにはおられない感じなのです。もう、そうされていること自体が、ここちいいことなので、うう~、今はできないけど、あなたのような在りようになりたいっス。。。と思ってしまうっていう。

私はきっと、この感じをすぐに忘れてしまう。慣れた癖にもどってしまうと思う。でも、こうなりたい、という在り様が、すぐ近くにおられるってことが、ありがたい。ほんとにほんとにありがたい。師匠は、それは、できるんだよ、と、ありとあらゆる感じであらわしてくれている。でも、全部いっていることは一緒。今回は、自分がちょっと勇気を出して、それはどういうことなんですか!と本音を出したときに、がつんとかえってきた。正直、どうやっていくことが、私がそれをつかめる道なのかはわからない。でも、けっこううれしい感じです、今は。なんだかここまできて、こういう人とあっているなあ、ということで、万々歳です。

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